全国の引きこもりの皆様に 古本屋になろう!

大阪府古書籍商業協同組合理事長  中尾隆夫

一昨年の二月頃から世界に広まり始めたコロナ騒動は全世界に及び今年の十月現在で感染者総数は二億三千万人を超え死者も四百八十万人に達しております。我が国でも感染者数は百七十万人に達し死者も一万七千人を超えておりますが、世界の水準に比べると低く留まっていてこれは日本政府の対策もありますが、日本人の病気やウィルスに対する歴史的かつ賢明な医療対策によるものと考えられます。
この間、二度の全国を対象とした緊急事態制限が発令され、我々日本国民は約三カ月に及ぶ自宅待機を余儀なくされました。つまり国民全員が否応なしに引きこもりを経験したわけです。コロナ禍の中で我が国の引きこもりの人たちの数が百万人を超えて、今や大きな社会問題となりつつあると報道されております。今まで引きこもりの人たちの事は殆ど関心の無かった私にとりましてこの三カ月というものは、自分の生業である古本屋業というものをじっくり振り返ることができたように思われますし、何より少しだけではありましたが引きこもりの人たちのことを考えてみる時間があったということでした。

あれは四~五年前の今宮十日戎の本宮の日の午後六時頃の大混雑の時だったと思いますが、その日はどういう訳か一人でお参りして福娘にお札や大判等を付けてもらって帰ろうとした時、「中尾さん。」と後ろから私を呼ぶ声がしました。振り返ると私の知らない男の人がいて、「君だれや。僕を知ってるのか?」と聞くと、「はい、知ってます。僕は今度大阪古書組合に入れてもらった田宮です。」という。私は彼と会うのはその時が初めてで、「まあ頑張ってや。」と言ったかどうかは忘れましたが、そのまま別れました。縁は奇なり、と言いますがその後彼とは古書組合でもよく会うようになって、私が会長を務める古典会という大阪古書組合の同人市に入ってもらいました。一~二年して古典会の後の飲み会で、「ところで田宮君、君は古本屋になる前はなにしてたん?」と聞いてみると、「引きこもりでした。九年間引きこもっていました。」と言う。田宮君は体もがっしりしていてとてもそのようには見えなかったが、私は少し驚いた思いが残っている。彼は古本屋業が水に合っていたようで、その後二世会という組合市会の会員にもなり、大阪古書組合の理事にもなって公私ともに生き生きと跳ね回っています。田宮君が古本屋になったのは彼の兄が古書あじあ號の岡田さんと馴染でそれが直接の機会になったようですが、私との出会いもまた彼が持っていた福運ともいえるのかもしれません。

引きこもりの人たちに一番必要なものは、一体何なのだろうか? 本当に医者やコンサルタントが必要なのだろうか。勿論こういう人達のアドバイスも必要だろうが、一番は何かにであう、ということではないのだろうか。テレビでもパソコンでもゲームでもアニメでも絵でも書道でも何でもいい。自分にピーンとくる何かに出会うことが無い限り、自分でやってみようという気が起らない限り、引きこもりは続いていくことになる。私は引きこもっていても、それはそれでいいと思う。引きこもっていても出来ることを見つければいいのである。コロナで一人で引き籠っていた間に久し振りに本を読んだという人も沢山おられるのではないでしょうか。テレビやiPadには映像の世界しかありませんが、本には読んでみた後で自分で考えたり、想像したりする無限の世界があるのです。書物の世界には人類が今忘れかけている架空の空間が広がっているのであります。
ここ十年来、新刊古書を問わず書物の売り上げはずーっと下がる一方でしたが、コロナをきっかけにここ二年ほどは書物の売り上げが上向いています。これにはネットの通信販売が大いに関係しているのでありますが、古書店では明治時代から古書目録を作って顧客に提供する通信販売を続けてきております。また今は「日本の古本屋」というネットワークで日本中の古本が検索できます。新刊も古書も書店に出かけていって本を選ぶ時代ではなくなりつつあります。大阪古書組合は一時二百八十軒の古書店がありましたが現在では百軒近く減っているのが実情ですが、これからは多分少しずつ増えていくように思います。

全国引きこもりの皆さん、幸いにも私の文章を読んで頂いたならどうぞ我が門を叩いて下さい。明日でも、明後日でも、一か月後でも、一年後でも、五年後でも、十年後でもかまいません。入会金と月会費は必要ですが、入れば殆ど何の制約もありません。来たいときに来て、先輩仲間とお話しするもよし、しないもよし、古書を買うもよし、買わぬもよし、好きなようにしてください。そしていつしかあなたの新たな人生を目覚めさせる一冊の本に巡り会えることを希望しております。

令和三年十月四日

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