伊能図と大阪船場・愛日文庫

中尾 堅一郎 中尾松泉堂書店

大阪船場に伝わる「愛日文庫」が所蔵する「伊能図」が、仙台市立博物館で展示公開された事から、新たに研究が進み、「愛日文庫」の価値が改めて注目されている。平成11年1月13日付「朝日新聞」の夕刊1面トップで大きく採り上げられた「愛日文庫」について紹介したい。

朝日新聞の見出しでは、「伊能の初地図写本に鮮やか=大阪・山片蟠桃ゆかりの小学校で確認」と大きく報じ、「日本の近代的実測図の先駆者となった伊能忠敬(1745-1818)が最初に作った地図といわれている「寛政12年提出小図」の写本が、大阪市中央区の市立開平小学校の地下文庫に保管されていることが13日、専門家によって確認された。「伊能地図」の原点とも言える小図で、将軍に献上した原本は消失したとされる。全国では3枚の写本が確認されており、同小学校の写本は江戸後期に描かれ、彩色などからこれまで見つかった三枚と比べて保存状態が良く、専門家は「原本の姿を推定する上で、また新たな資料が加わり、伊能図の研究全体にも価値がある」と話している。」と続けている。

愛日文庫は大阪の中心地である「船場」(せんば)地域にある大阪市立愛日小学校にて保管されてきた約3500冊におよぶ古典籍を言う。

この文庫の中心をなすのは「山片蟠桃」の旧蔵書である。山片蟠桃は近世大阪の町人学者で、今では毎年大阪市が授与する「山片蟠桃賞」でもその名が知られている。

山片蟠桃は寛政元年(1748)、播磨国印南郡米田町神爪村の農家に生まれた。宝暦十年(1760)、少年にして大坂の堂島米市場で五仲買に挙げられる豪商「升屋」山片家へ入った。商人ながら学問好みの人で「懐徳堂」門人でもあった升屋二代目当主「重賢」は、少年の並外れた知性と才覚を見るや、懐徳堂に入門させた。中井竹山、履軒に師事した彼の学才俊秀は目を見張るものであった。山片家四代目重芳が幼少にして家督を相続すると、彼は番頭として力を発揮、ついに「升屋」は仙台藩をはじめ、尾張・水戸・越前など十数藩を相手とする大名貸となった。さらに仙台藩財政建て直しを請われた彼は、「サシ米」を発案、「米札」の考案とここでも卓越した才能を発揮した。ために、山片家から親類次席にあげられて、姓を貰い受けて山片芳秀を名乗り、また仙台藩からは貴重書の数々を拝領した。彼は商売の傍ら番頭=蟠桃の号を名乗って学問を究め、遂に有名な「夢の代」を完成させた。12巻に及ぶ大著の中で、宇宙・天文・地理・社会・経済などの森羅万象を、実学主義、合理主義で究めつくし、「地動説」「無鬼論」を論じている。

明治5年8月、「升屋」八代当主山片重明は小学校設立のため、大阪北浜にある自らの邸宅を、土地、家屋、建具ごと学校に寄贈した。この中に、山片家旧蔵の書籍類があり、山片重賢・重芳らの収集した書籍、山片蟠桃の学問上の研究書、山片重賢・重芳らの収集した書籍、山片蟠桃の学問上の研究書、蟠桃が仙台藩主や白川藩主松平定信から拝領した貴重書の数々も小学校に寄贈されたのである。

3500冊に及ぶ書物の中には、1660年アムステルダム発行のヨンストン著「動物学全書」、文化五年仙台藩拝領本のロシア漂流記「環海異聞」など江戸時代の西洋書をはじめ、「伊能図」などから、国文学、漢籍など多くの分野にまでおよんでいる。

この蔵書は愛日小学校創立当時より現在に至るまで、愛日教育会が保管、保存を引き継いできた。平成 年に愛日小学校が統合合併したため、蔵書は統合校の開平小学校に保管室を設けて移設したが、現在も従来通り、PTAと児童たちによって年一度の曝書を行い、貴重な文化遺産に触れて親しむ事で、また次の世代への継承につとめている。

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